2013年03月11日
南三陸町と中通り商店街
3月11日は震災から二年ですの〜
あれからもう二年なるんだよの〜
酒田は停電になって寒くて、暗い夜を過ごしました
その中での余震に怯えながら一夜、怖かった
ラジオだけでは、太平洋側で起きてる悲惨な震災の様子もよく分からず我が身の事を心配していた夜
翌日テレビで見た震災の光景に言葉も出なかった
ぼうさいネットワークで繋がってる南三陸町おさかな通り商店街の全滅を知ってからは、いても立ってもいられずジリジリした思い…
13日にぼうさいネットワークの旗頭藤村望洋さんが酒田入りし、一喝『今直ぐに行きたい気持ちも分かるが、今までやって来たぼうさいネットワークは必要な物を届ける練習だ!連絡が取れるまで待て!』でした
それからは、いつでも行ける様に物資集め
品物がどんどん店頭から無くなる中、私や大泉さんの嫁ちゃんのブログを見た方々からたくさんの物資が届きました
たくさんの善意の品々がうちの中に、所狭しと並べられた光景は今でも忘れられません
あの時は、本当に嬉しかった
Twitterに載せて拡散して下さった方
あとから聞いたら、幼稚園のお便りに『中通り商店街さんで救援物資をあつめています。』と、載せて下さった園もありました
今まで中通り商店街にあまり足を運んだ事かない方々が、一生懸命探してうちに来てくれました
『あそこの商店街に行けば被災した方に届けてくれる。』と、大事な物を託してくれる有難さと、信頼されてるんだと責任も感じました
本当に足の踏み場も仏壇を運ぶ隙間も無いくらいの店内でした
(実際、納品の仏壇を運ぶのに苦労しました(^_^;)
『うちは、次買うから持って行って下さい。』と、頂いたトイレットペーパーやティッシュ、赤ちゃんの粉ミルクやオシメをわざわざ買って持って来て下さったり
謝恩会がなくなった為の返金を持って来て下さったり
皆さんの善意に何度涙をこらえた事か
こうやって書いてるうちから涙がでます
やっとおさかな通り商店街の山内さんや及川さんに連絡がつき、欲しい物は煮たきする鍋、釜、ガス、水……
様々なものを集めて、うちのハイエースにパンパンに積んで第一陣が出発したのが18日
その日も冷え込みが厳しく積雪は少ないものの道路はツルツル
真っ暗な朝三時で出発でした
大泉酒店の若旦那ダーリンとさと吉の栄司君が最初の運転手
なんとか軽油を調達していきました
見送りする酒やの嫁ちゃんがすごく不安な気持ちで見送っていたのが印象的でした
なぜなら、色んな情報では『ガス欠で乗り捨ててある車がいっぱいで道がふさがっていて、道なき道を行かないと進めない。』とか、『通行止めがあるから一般車は難しい。』とか、いろんな情報がありました
いくらなんでもこの看板車ではと【仏壇のさとう】を隠した【救援物資輸送車 酒田市中通り】と貼ってみました
それが功をそうして高速道パス、通行止めも公用車扱いで進めたそうです
なかなか繋がらない携帯でしたが、荷下ろしして帰ってくるメールがつく頃には酒田に到着
三時出発した車が二時には到着しました
本日中に帰れないかと思ったからびっくり(*^^*)
この日をスタートに、私達のぼうさいネットワークの仲間が動き出しました
そして、多くの酒田市民の方々からもたくさんの物資が届きました
おさかな通り商店街の及善蒲鉾店の及川さんは小学校、山内鮮魚店の山内さんは中学校の避難所にそれぞれが世話役で動いていたんです
そんな関係で私達は、志津川の小学校と中学校の二箇所に避難している1200人の方々に救援物資を運ぶ事になりました
始めは、二日くらいのペースで運びました
3月18日、 20日 、23日、
23日に行った時に『あったかいそばやうどんが食べたいね〜。』と、聞いて炊き出しを計画
27日に私は始めて南三陸町に行きました
テレビで見ていても、その光景を目の当たりにすると言葉もありません
『言葉も出ない』
凄まじい光景を前にするとほんとうに出ないもんです
一回目は小学校はうどん、中学校はそば
1200食の具材を揃えるのに苦労しました
まずは、分量が分からない(ーー;)
長ネギは? ダシは?
具は何にしようか?
お金も商店街にそんなにある訳も無く、いろいろな方々に援助してもらいながらの炊き出し
『あったか〜い。』『美味し〜。』
みなさんが口を揃えて言ってくれました
4月から始まった福興市は、先月の2月で23回になりました
そのうち中通り商店街は20回足を運ばせて頂きました
中通り商店街だけでは人員が足りず、多くの仲間にも参加して頂き感謝いたしますm(_ _)m
今日は忘れてはいけない日、忘れられない日、そして感謝の日
南三陸町職員の宮川舞さんに観光パンフレットを頂きたくメールをした時の返信メールに
『11日は、追悼の日でもあり、皆さんに感謝の日でもあります。』と、書いてありました
私達中通り商店街もたくさんの方々にたくさんのご協力を頂きながら、南三陸町の支援をさせて頂きました
そして、今も毎月の福興市に行っています
本当に多くの皆さんに感謝いたします
ありがとうございましたm(_ _)m
『命ある事は当たり前ではなく、生かされているんだなぁ〜』と、あの当時切に感じました
多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、命を大切にし多くの人の微力でも力になれる様に生きていきたいと思います
これからも、南三陸町に支援をしていきたいと思います
福興市にもまだ被災地に行った事のない方、行きたくてもどうしたらいいかわからない方、是非、中通り商店街と行きませんか?
今日は、中町で二年めのキャンドルナイトが7時から行われます
南三陸町の震災パネル展もありますので、是非お越し下さい(^-^)/
あれからもう二年なるんだよの〜
酒田は停電になって寒くて、暗い夜を過ごしました
その中での余震に怯えながら一夜、怖かった
ラジオだけでは、太平洋側で起きてる悲惨な震災の様子もよく分からず我が身の事を心配していた夜
翌日テレビで見た震災の光景に言葉も出なかった
ぼうさいネットワークで繋がってる南三陸町おさかな通り商店街の全滅を知ってからは、いても立ってもいられずジリジリした思い…
13日にぼうさいネットワークの旗頭藤村望洋さんが酒田入りし、一喝『今直ぐに行きたい気持ちも分かるが、今までやって来たぼうさいネットワークは必要な物を届ける練習だ!連絡が取れるまで待て!』でした
それからは、いつでも行ける様に物資集め
品物がどんどん店頭から無くなる中、私や大泉さんの嫁ちゃんのブログを見た方々からたくさんの物資が届きました
たくさんの善意の品々がうちの中に、所狭しと並べられた光景は今でも忘れられません
あの時は、本当に嬉しかった
Twitterに載せて拡散して下さった方
あとから聞いたら、幼稚園のお便りに『中通り商店街さんで救援物資をあつめています。』と、載せて下さった園もありました
今まで中通り商店街にあまり足を運んだ事かない方々が、一生懸命探してうちに来てくれました
『あそこの商店街に行けば被災した方に届けてくれる。』と、大事な物を託してくれる有難さと、信頼されてるんだと責任も感じました
本当に足の踏み場も仏壇を運ぶ隙間も無いくらいの店内でした
(実際、納品の仏壇を運ぶのに苦労しました(^_^;)
『うちは、次買うから持って行って下さい。』と、頂いたトイレットペーパーやティッシュ、赤ちゃんの粉ミルクやオシメをわざわざ買って持って来て下さったり
謝恩会がなくなった為の返金を持って来て下さったり
皆さんの善意に何度涙をこらえた事か
こうやって書いてるうちから涙がでます
やっとおさかな通り商店街の山内さんや及川さんに連絡がつき、欲しい物は煮たきする鍋、釜、ガス、水……
様々なものを集めて、うちのハイエースにパンパンに積んで第一陣が出発したのが18日
その日も冷え込みが厳しく積雪は少ないものの道路はツルツル
真っ暗な朝三時で出発でした
大泉酒店の若旦那ダーリンとさと吉の栄司君が最初の運転手
なんとか軽油を調達していきました
見送りする酒やの嫁ちゃんがすごく不安な気持ちで見送っていたのが印象的でした
なぜなら、色んな情報では『ガス欠で乗り捨ててある車がいっぱいで道がふさがっていて、道なき道を行かないと進めない。』とか、『通行止めがあるから一般車は難しい。』とか、いろんな情報がありました
いくらなんでもこの看板車ではと【仏壇のさとう】を隠した【救援物資輸送車 酒田市中通り】と貼ってみました
それが功をそうして高速道パス、通行止めも公用車扱いで進めたそうです
なかなか繋がらない携帯でしたが、荷下ろしして帰ってくるメールがつく頃には酒田に到着
三時出発した車が二時には到着しました
本日中に帰れないかと思ったからびっくり(*^^*)
この日をスタートに、私達のぼうさいネットワークの仲間が動き出しました
そして、多くの酒田市民の方々からもたくさんの物資が届きました
おさかな通り商店街の及善蒲鉾店の及川さんは小学校、山内鮮魚店の山内さんは中学校の避難所にそれぞれが世話役で動いていたんです
そんな関係で私達は、志津川の小学校と中学校の二箇所に避難している1200人の方々に救援物資を運ぶ事になりました
始めは、二日くらいのペースで運びました
3月18日、 20日 、23日、
23日に行った時に『あったかいそばやうどんが食べたいね〜。』と、聞いて炊き出しを計画
27日に私は始めて南三陸町に行きました
テレビで見ていても、その光景を目の当たりにすると言葉もありません
『言葉も出ない』
凄まじい光景を前にするとほんとうに出ないもんです
一回目は小学校はうどん、中学校はそば
1200食の具材を揃えるのに苦労しました
まずは、分量が分からない(ーー;)
長ネギは? ダシは?
具は何にしようか?
お金も商店街にそんなにある訳も無く、いろいろな方々に援助してもらいながらの炊き出し
『あったか〜い。』『美味し〜。』
みなさんが口を揃えて言ってくれました
4月から始まった福興市は、先月の2月で23回になりました
そのうち中通り商店街は20回足を運ばせて頂きました
中通り商店街だけでは人員が足りず、多くの仲間にも参加して頂き感謝いたしますm(_ _)m
今日は忘れてはいけない日、忘れられない日、そして感謝の日
南三陸町職員の宮川舞さんに観光パンフレットを頂きたくメールをした時の返信メールに
『11日は、追悼の日でもあり、皆さんに感謝の日でもあります。』と、書いてありました
私達中通り商店街もたくさんの方々にたくさんのご協力を頂きながら、南三陸町の支援をさせて頂きました
そして、今も毎月の福興市に行っています
本当に多くの皆さんに感謝いたします
ありがとうございましたm(_ _)m
『命ある事は当たり前ではなく、生かされているんだなぁ〜』と、あの当時切に感じました
多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、命を大切にし多くの人の微力でも力になれる様に生きていきたいと思います
これからも、南三陸町に支援をしていきたいと思います
福興市にもまだ被災地に行った事のない方、行きたくてもどうしたらいいかわからない方、是非、中通り商店街と行きませんか?
今日は、中町で二年めのキャンドルナイトが7時から行われます
南三陸町の震災パネル展もありますので、是非お越し下さい(^-^)/
Posted by 仏壇屋のおばちゃん♪ at
08:38
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